佐世保市の北東部に位置する世知原町は緑豊かな山々に囲まれた静かな町。標高約777mの国見山を源流とする佐々川などの豊富な水の流れによってお茶やお米などの美味しい農産物が育まれている。
この地域には住まう人々と佐々川との共存から生まれた貴重な文化遺産が存在しており、16基のアーチ式石橋群が残っている。今回、その中から世知原の街中に点在する4基の石橋と、同じ材料である砂岩で出来た貴重な洋館を巡ってみた。

川の流れによって浸食された砂岩と輪積みという珍しい積み方で造られた「尾崎橋」
山暖簾から県道54号線を車で西へ向う、約5分ほどで佐々川の最上流部に架かる「尾崎橋」に着いた。
●尾崎橋
蛇渕と呼ばれる険しく深い渓流にあり、世知原に残る石橋の中では最も古い。懐かしさを感じる田園風景のなかの旧道に架けられた美しい橋である。

大正町バス停辺り

洞禅寺付近。桐の木橋までは上り道。
街中のバス通りにある大正町バス停辺りから緑の案内板の「世知原少年自然の家」方向へ車を走らせる。古刹洞禅寺を左に見ながら、100mほど坂道を上ると右手に「石橋 桐の木橋」と書かれた案内標柱が見える。

「沢ガニ」や「カワトンボ」なども季節限定で観察できる。
●桐の木橋
車を道脇に停め、案内標柱脇の農道をすこし下ると桐の木橋が見えてきた。橋手前の石碑には大正15年3月架橋との銘が刻まれている。アーチ、欄干、親柱なども当時のまま。石工職人が欄干の砂岩に刻んだ「ノミ痕」や橋を渡り横側に整備されている公園から川辺におりて石造りアーチを手に触れて見ることができる。佐々川の支流、小田川の清流に架けられ、里山の景色と一体となった佇まいであった。
この桐の木橋から、遠く南西にボタ山を望めることができる。かつて炭鉱町の象徴であったこの山も閉山から40年余りの月日が流れ・・・今は深緑の木々に覆われている。

参道を山口神社へ・・・
先程の大正町のバス停付近へ戻り、バス通りを西へ車を進める。街の中心部、中学校近くの駐車場に車を停め、山口神社参道から境内横の小路を少し歩くと浸食され苔した岩に架けられた「石橋 山口橋」がある。

左の北川内川のせせらぎを聴きながら・・右手にある神社境内に挟まれた小路を歩く・・・

「山口橋」
●山口橋
この橋は北川内川が佐々川と合流する少し手前にあり、大正の末ごろ、炭鉱住宅と街の中心部を繋ぐ架け橋としてつくられた。
周りの景観に溶け込み落ち着いた風情の橋である。

山口橋横にある、かじか河川公園から佐々川の川辺へ下る。切り立ち、浸食された砂岩が両崖にあり幻想的な雰囲気に包まれている。
来た道を戻り車で5分ほどの世知原炭鉱資料館へ・・・

「世知原炭鉱資料館」
●世知原炭鉱資料館(旧松浦炭鉱事務所)
石橋と同じ砂岩の切石で造られ、かつて松浦炭鉱事務所として使用された建物。「明治45年の建設当時、この様な洋館は大変珍しく、近郷近在からお弁当持参で人々が見学に訪れ、炭鉱産業が盛んだった世知原のシンボル的建築物でした」。ほどよく風化された外壁の砂岩が月日の流れを感じさせている。

小滝に架かる陸橋を渡ると松浦炭鉱の坑口跡がある。
長崎県北唯一の石造り洋館、炭鉱資料館を内覧したあと隣の大藤河川公園へ・・・公園の奥に小さな滝がありその流れは佐々川に注いでいる。横には明治の頃、掘られていた炭鉱の坑口跡があり、鉄柵越しにその時代の面影に触れることができる。
●倉渕橋
炭鉱資料館から住宅街を少し歩くと大正8年、倉渕橋と銘が刻まれた石橋の親柱が見えてきた。この橋は近代的設計技法により造られ、アーチの長さは長崎県随一という。・・・欄干の手前から車椅子も通れるスロープがあり、真下からアーチを観ることができる。日差しが川面から反射され橋裏にゆらゆらと照り映えているのが美しい。佐世保市街地へ通じる県道に架けられていて、今も毎日、定期バスが通行する現役の橋である。
この橋の下には川底の岩の割れ目や窪みが水の流れで広がり、その中に石がはまって研磨された円筒形の丸く大きなポットホールがある。気の遠くなるような年月によって浸食され造られた自然の造形をも垣間見ることとなった。

■平成23年11月掲載 取材、原稿/山暖簾スタッフ・石丸

